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180センチの天才が縮んで考えた――スバル360を生んだ「飛行機野郎」の執念と現場主義

180センチの天才が縮んで考えた――スバル360を生んだ「飛行機野郎」の執念と現場主義

前回のコラムでは、ホンダの創業者・本田宗一郎氏の「チャックを開けたまま没頭する姿」をご紹介しました。日本の自動車黎明期(れいめいき)には、他にも強烈な個性を放ち、日本のものづくりをひっくり返した天才がいます。それが、スバルの前身である富士重工業で「スバル360」を生み出したエンジニア、百瀬晋六氏です。

戦前・戦中、彼は東洋一の航空機メーカーと呼ばれた「中島飛行機」で、海軍のジェットエンジンや最先端の軍用機開発に没頭していました。しかし、1945年の終戦により日本の航空機産業は完全に解体されます。翼をもがれた「飛行機野郎」たちが次に挑んだのは、戦争のための道具ではなく、戦後日本の家族を豊かにするための「庶民のクルマ」づくりでした。

自分の巨体を「ものさし」にした、お茶目な大男

国から示された「軽自動車」の規格は、現代からは想像もつかないほど厳しいものでした。エンジンはわずか360cc、車体サイズも超コンパクト。当時の常識では「大人2人が乗るのが限界」と笑われていたサイズです。

しかし、百瀬氏は一切妥協せず、「大人4人が快適に乗れる本格的なセダンを作る!」と宣言します。

ここで面白い逸話があります。百瀬氏は、当時の日本人としては規格外と言える、身長180センチメートル近い大柄な男性でした。彼は開発中、自ら試作車の中に巨体をギュッと縮めて乗り込み、「俺が乗って窮屈な車に、お客さんが満足して乗れるわけがないだろう!」と、自分の身体を「ものさし」にして室内空間をミリ単位で削り出したのです。

大男のエンジニアが狭い試作車に何度も潜り込み、あちこち頭をぶつけながら考え込む姿は、周囲から見ればなんともユーモラスでした。しかし、この「自分の身体で体験する」という執念があったからこそ、外見は「てんとう虫」のように可愛いのに、中は驚くほど広いという奇跡のパッケージングが完成したのです。

 0.1グラムを削り出す「飛行機のDNA」

「大人4人を乗せる空間」を作ると、今度は車体が重くなり、小さな360ccのエンジンでは走らなくなってしまいます。ここで爆発したのが、百瀬氏の「飛行機野郎のDNA」でした。

飛行機は1グラムの重さが命取りになります。彼は自動車の常識を捨て、航空機に使われていた技術を次々と投入しました。車体全体で強度を保つ「モノコック構造」を採用し、屋根には当時最先端のプラスチック(FRP)を使いました。

さらに凄まじいのは、「ボルトやリベット(鋲)の頭を、1本ずつヤスリで削って平らにした」というエピソードです。ネジの頭をほんの少し削ったところで、変わる重さは1グラムにも満たない、気の遠くなるような作業です。しかし百瀬氏は「この0.1グラムの削り込みの積み重ねが、車を走らせるんだ」と、チーム全員で手を汚し続けました。

こうして1958年に誕生した「スバル360」は、日本のモータリゼーションを爆発的に進化させ、歴史に名を残す名車(日本の機械遺産)となったのです。

「机の上」ではなく「現場の足」で決断する

そんな百瀬氏が遺した、現代のビジネスリーダーにも深く突き刺さる名言があります。

「物をよく見ろ。机上検討だけではダメ、設計は足でしろ」

どんなに素晴らしい理論やデータがパソコンの画面上に並んでいても、実際に現場に足を運び、自分の手で触れ、五感で確かめなければ本質は見えてこないという教えです。彼自身、常に現場で手を汚し、若手と同じ目線で議論を戦わせました。

代表も、百瀬氏が貫いたこの徹底的な現場主義と、命を守るための安全思想には、今も深いリスペクトを抱き続けています。

企業の命運を分ける大決断を下すとき。リーダーには、ノイズだらけの机の上から離れ、自分の感性を信じて思考を深める時間と空間が必要です。

株式会社東野ビルディングが手掛ける空間は、そんなプロフェッショナルたちが「現場で得たインスピレーション」を昇華させ、次の偉大な決断へと変えるための場所でありたいと考えています。大男が身を縮めて未来を創ったように、現代のリーダーたちが最高の集中を発揮できる静謐な環境を、私たちはこれからもお届けしていきます。

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